大正時代の茶売り

カテゴリー │東山の歴史

大正時代の茶売り

おはようございます。 晴れのち雨の不安定な天候が続きます。粟ヶ岳の裾野の
茶処、東山茶業組合です。

昨日に引き続き明治100年(昭和45年)を記念して発刊さえた東山郷土誌より
大正時代の東山について振り返ってみたいと思います。
参照は一部意訳しております。

「雇い入れた茶摘みは女子のみで、東山のみで100人以上いました。茶師は朝
4時頃より日没まで、茶摘は夜明けより日没までいずれも重労働でだいたい20
日間くらい働いていました。

製造したお茶の売り先は主に金谷、日坂方面へ製品を担いで行き、茶商店へ
売りさばき、又は仲買人へ売り込み競争をして販売しました。
他家より高く販売できたことを競いましたので山の中でありながら東山の農家
は商法にたけていると思います。」

現在日坂へも金谷へも車ならわずかな時間で到着できますが、当時の東山は
山間地の茶処だったということがわかります。

茶摘さんたちが一日中かかって摘み、茶師は終日茶を揉み、製品を売りにゆく
茶農家とお茶の時期の賑やかさがしのばれます。

このような時代を経て、共同で加工することが始まってきます。
私たち東山茶業組合もこの頃からはじまった茶工場の心を引き継いでいます。

先人が拓いたこの土地を守り、健康な深蒸し茶を育てる心を守っています。



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